千早城
別名: 金剛山城、
所在地: 〒585 - 0051 大阪府南河内郡千早赤坂村千早
城地種類: 山城
築城年代: 元弘2年(1332)頃
築城者: 楠木正成
文化財史跡区分: 国指定史跡
藁人形と看板
3連休の休みなので三重、奈良、大阪、和歌山、京都、7名城(百名城)制覇の旅に出掛ける事にしました!5城目はここ「 千早城 」へ。
千早城概要:
千早城は、鎌倉末期の武将楠木正成が金剛山一帯に築城した山城のひとつで、尾根上に設けられた曲輪群をひとつの城としてとらえると、下赤坂城が出丸、上赤坂城が本丸、千早城が詰めの城にあたる。元弘3年(1333年)、正成軍は防御の中心となった千早城に1000人程が籠城して、城を囲む鎌倉幕府の大群に大石や大木を落としたり火攻めにするなどして善戦。千早城に鎌倉幕府軍が足止めされている間に、新田義貞が東国で挙兵して鎌倉幕府を滅亡へと導いた。城はその後、南北朝時代に畠山氏に攻められて落城し廃城となった。城跡には現在、曲輪跡や空堀、堀切などの跡が残り、二の丸跡には千早神社が建つ。と、手元の資料に書いてあります。
案内看板
「まつまさ」に車を停め、美味しいと評判の椎茸そばで
腹ごしらえをしてから登城しました。(写真撮るのを忘れる)
雪の山道
積雪は10cm程度ですが、この状態での山道&階段は
とても歩きにくい。
山腹の景色
「 赤坂・千早城の戦い 」 において1000人の兵で約100日間籠城戦を繰り広げ
およそ20万とも言われている幕府軍を奇襲や奇策で翻弄したと言われています。
たしかにこれだけの険しい山奥で20万の大軍は動かしにくいだろうなと思いました。
二ノ丸石碑
本来なら空堀や堀切を探すところですが、この日は積雪もあり危険
なので主郭を目指して進みました。(いつかリベンジ登城しなければ)
寒い、歩きにくい、誰も居ない。早くも下山したい気持ちになる。
そんな時、城の入り口にあった看板を思い出しました。
「げんき、すてき、くすのき、」少しだが元気が出てきました。
神社到着
この辺りは主郭なのですが、生憎の天候のため思うように散策
できません。(くやしいです)
境内の様子です。
千早城復元模型
こちらの模型は千早赤坂村立郷土資料館に展示されています。
施設情報:
- 開館時間
- 開館時間:午前9時
- 閉館時間:午後5時(入館受付時間:午後4時30分)
- 休館日
- 毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)
- 年末年始
- 入館料
- 大人200円、子供100円(団体割引あり)と、なっております。
肖像画
さすがは天下に名だたる名将です、キレイに描かれています。
スタンプ押印
スタンプ設置場所:金剛山麓「まつまさ」 千早城跡茶屋(不定期)
スタンプの状態: " 良 " 状態も良く、綺麗に押せる黒なので安心です。
千早城
見所ポイント: 本丸、二の丸、三の丸、空堀、竪堀、武者隠、等
駐車場: 金剛山麓「まつまさ」有料
総評: 金剛山山頂への登山ルートが本丸、二の丸、三の丸など千早城を訪ねるコースになっている。曲輪跡や空堀、また二の丸に残る竪堀・武者隠などは、そのままかつての楠木軍と鎌倉幕府軍の戦いの跡である。と、手元の資料に書いてあります。
まったくもってそのとおりです。
知将楠木正成による奇策の数々で、鎌倉幕府軍は連日大勢の死傷者を出したと記録にあります、いったいどれ程の激戦が繰り広げられたのか想像もつきません。
1000人対200000人、数だけで見れば絶対に勝ち目はありませんが山の地形を活かし、奇策を駆使し100日間も籠城戦を展開した楠木正成軍の戦いぶりはまさに「あっぱれ」
の一言に尽きると思います。こんな激戦の舞台となった千早城に週末にでも訪れてはいかがでしょうか。