岡崎城
別名: 龍城
所在地: 〒444 - 0052 愛知県岡崎市康生町 561
城地種類: 平山城
築城年代: 1455年頃、 1591年頃
築城者: 西郷氏、 田中吉政
岡崎城
連休が取れなかった為、休日1日で愛知県のお城(日本百名城)
3城を制覇する旅に出掛ける事にしました。
愛知県2城目はここ、" 岡崎城 " へ。
岡崎城概要:
岡崎城は1455年頃に土豪の西郷頼嗣(さいごう よりつぐ)が創築し、家康の祖父
松平清康が享禄4年(1531)に改築を行う。その城で天文11年(1542)松平竹千代
(徳川家康)が生まれた。幼くして今川氏の人質となった家康だが、桶狭間の戦い後は
岡崎城に戻り、ここを拠点に三河を統一した。家康が浜松城に本拠を移すと子の信康が入り、信康の自刃後は城代が置かれた。
家康が秀吉によって関東に移されると、田中吉政が入り総構の堀を築いた。
関ヶ原の戦い後は徳川氏の聖地として重要視され、譜代大名、親藩が城主となった。
元和3年(1617)には三重三階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれた。
明治初期に天守は取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。
手元の資料より引用。
大手門
駐車場に車を停め歩き出すとすぐに「大手門」がお出迎えします。
門の近くに説明看板(石版)があり、このように書かれていました。
「この大手門は、岡崎公園の表玄関にふさわしい建物として建設したものです。
本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約二〇〇メートル)にありました。江戸時代の記録によれば大手門は「桁行十間、梁行二間四尺」でした。」
青海堀
本丸北面の防御のために設けられた空堀で、城内でもっとも深い堀です。
天守裏側
天守入口の側(表とします)の丁度真裏に来ました、ここには写真の右下部分に
石で出来たアーチ橋があります、天守への連絡橋との事。
家康しかみ像
武田信玄に三方ヶ原で大敗した家康は、絵師を呼び、あえて顔をしかめた姿を描かせて、自らへの戒めとして生涯座右にした。
と、一般的に広く知られていますが史科学的にはまったく根拠がないとの事。
でも個人的には「教訓」の大切さを学ぶという観点からも、三方ヶ原で大敗した時、
絵師に描かせたと言われる「徳川家康三方ヶ原戦役画像」(しかみ像)の方が
なぜかしっくりときて好きです。
銅像?
この天守のある本丸付近は神社が管理しているのか?
神社関連の建物等が目立ちます。
(岡崎城が未だに市指定史跡のままなのはこの辺りが関係しているのか?)
RC造の天守
明治初期に取り壊された天守ですが、昭和34年(1959)
に鉄筋コンクリート造りで再建されました。
それにしても天守の前にある二本の松の木、いらないと思います。
天守からの景色
" 眺望 " とまでは思いません。
縄張り図(模型)
岡崎城の往時の姿がこの模型のとおりなら、どんなに素晴らしい城であった事か。
残念ながら現在においては遺構はあまり残っておらず、正直残念で仕方ありません。
豊川稲荷
岡崎城を後にし、一度行ってみたかった " 豊川稲荷 " へ。
ご当地B級グルメ
豊川稲荷のいなり寿司:
現在豊川市では、いなり寿司の上に愛知県名物のみそカツを載せたものや、鰻の載せたものなど、創作いなり寿司も多くのお店で販売しています。また、いなり寿司を地域ブランド化し、全国に豊川市を知ってもらうため、まちおこしボランティア団体
「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」が結成されました。
写真左は「おきつねバーガー」で右下にあるのが「山葵いなり」です。
この山葵いなりが超おススメです!めちゃくちゃ旨いです。
ここで食べました↓
スタンプ押印
スタンプ設置場所: 天守1階
スタンプの状態: " 良 " 少し力んでしまい強く押しすぎました。
岡崎城
見所ポイント:青海掘、坂谷門跡、切通し、
駐車場:岡崎城公園専用駐車場有料 30分毎100円
総評:東照公産湯井戸や東照公えな塚、門跡に残る石垣などからは、家康生誕の城の
雰囲気を味わう事ができる。本丸北側の青海堀は城内でもっとも深く迫力がある。
と、手元の資料に書いてあります。まったくそのとおりでございます。
岡崎城は関東でもそれなりの大きさを誇る規模でしたが、明治6年(1873)の廃城令によって廃城となりました。城内のほとんどの建物が払い下げられ、現在は一切の建物を失い、本丸と周辺にわずかばかりの石垣、堀などの遺構を残すのみです。
もし往時のままの姿を今現在でも保っていたならば、どんなに凄くそして素晴らしかった事か、現在のほとんど遺構が残っていない状況はとても残念で仕方ありません。
家康公の思いと人生が詰まったこのお城、岡崎城を一度訪れてみてはいかがでしょうか。