久能山城
別名: ナシ
城地種類:山城
築城年代:永禄11年(1568)頃?
築城者:武田信玄
文化財史跡区分:国指定史跡
久能山東照宮
8月13日、夏真っ盛りの今日この頃、本来なら夏はお城巡りはしないシーズンオフなのだが、しばらくお城に行っていないのとせっかくの休みなので急遽、静岡県にある
久能山城へ行く事に。
久能山城概要:
甲陽軍鑑における関東三名城の一つ。
太古久能山は日本平と共に平野であったが、その後隆起によって出来たもので、長い年月の間に浸食作用等のため堅い部分のみ残り、現在のように孤立した山となったが昔は日本平と続いていました。
永禄11年(1568)武田信玄は当山が要害である事を聞き、久能寺を近くの北矢部
(清水区 今の鉄舟寺)に移し山上に城砦(じょうさい)を設け久能城と称しました。
天正10年(1582)武田氏滅びて駿河の国一帯が徳川氏の所領するところとなったので久能山も自然と徳川氏のものとなりました。
九十九折れ
表参道からここまで実によく石垣が積んであります。
これら石垣群が全て本物だったら…と思うと残念で仕方ありません。
高石垣
この辺り(正面)なんかは、かなり良い感じの石垣に見えます。
九十九折れを横から
まさに正面(参道側)は総石垣造りで隙が無い感じです。
使用している石の総数及び総量はかなりのもので、想像もつきません。
家康公の手形
手形をよ~く見てみると、横に一直線の線が確認できます、
これは俗にいう天下取りの相で「ますかけ」というらしいです。
身長155cmで体重60kg…。小太りのオジサンだったんですね。
石段1100段目
ここで1100段目!残り59段、ゴールは直ぐそこです。
変わった石垣
拝殿のすぐ下に面白い石垣がありました、まるで
ジグソーパズルのような石垣です。(遊び心満載な感じです)
何故こんな石垣があるのか?その答えは次の写真を見れば分かります。
添え石垣
あ~、そういう事ね。
裏にある石垣を補修する際に、このジグソーパズルみたいな
石垣にしたと…。
拝殿(国宝)
ついに1100段以上の石段を登り、ここまで来ました。
あと少しです。
正面から見るとこんな感じです。
御社殿
この拝殿は国宝に指定されています。
それしても煌びやかな建物です、
まさに「 豪華絢爛 」 そのものです。
お土産
巫女さんが売っているお土産です、交通安全のお守りを購入しました。
要害堅固な城のお守りは御利益ありそうです。
家康公教訓
ざっと一通り読んでみる…。
言わんとする事はなんとなくではあるが、分かる気がしました。
とても素晴らしい事が書いてあります、人生において大切な事が書いてあります。
金の成る木
説明については写真をご覧ください。
昔小学生の頃、学校の合言葉にこんなものがあったのを思い出しました。
「 やる木、根木、落ちつ木、三つの木を育てましょう! 」
あれは家康の " 金の成る木 " をパクッタものだったのでしょうか?
神廟
神廟は本殿の後方にある廟門より約40段の石段を登った所にあります。 ここは御祭神徳川家康公の御遺骸を埋葬し奉った所で以前は御宝塔と称えていました。 元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りでありましたが、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光公により現在の石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅の風鐸が掛かっています。
なお神廟は家康公の御遺命により西向きに建てられています。西の方には、公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらにその西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城があります。そしてその延長線は京の都へと続いています。 久能山東照宮HPより引用。
愛馬の墓
この神廟の片隅になぜか家康公の愛馬の墓があります。
名前が書いてない? そこが重要だと個人的には思うのですが。
帰路に就く
帰りがけに御社殿をあらためて見る。
さすが国宝です、光ってます。
久能山城縄張り図?
こちらの看板を見てもらえば分かりますが、周りがほぼ垂直に切り立った
断崖絶壁で、正面の表参道側は九十九折れの総石垣造り。
往時の石垣?
実はここへ来る前に事前に下調べをしていました、その中で興味深いネタがありまして
それが「ロープウェイを降りた所にある石垣が戦国時代の貴重な石垣である」と、
いうものでした。
降りた所がこの写真の所です、近くまで行き石垣を見ようとするとロープウェイの係員に「入らないで下さい、危険です」と言われあえなく断念。
往時の石垣の可能性が高いのに…残念。
久能山石垣
ここの石垣が全て本物だったなら、どんなに素晴らしい事か…。
この写真の部分の石垣が遺構として価値のあるものでありますように。
見事な石垣
手前の添石垣はご愛嬌という事で、純粋にこの高石垣を賛美します。
久能山に築かれた " 四段の石垣 " 素晴らしいです。
久能山城の顔
木々がうっそうと生い茂っていますが、これらの木々が無ければ
九十九折れの高石垣が見る者を圧倒するはずです。
久能山の絶壁
ここ久能山は周囲をこんな感じの崖で囲まれています。
長年の風雨によってこうなったらしいですが、よくもまあここまで
見事に陸の孤島(断崖絶壁)になったものだと感心します。
お土産(日本平)
日本平ロープウェイ乗り場のお土産店でこちらを発見しました。
しばらく悩んだ挙句、結局購入はしませんでした。
(スタイルがちょっと…。)
ご当地B級グルメ
静岡県といえばやはりマグロ、マグロの水揚げ日本一の清水港にやって来ました。
せっかく静岡県まで来たので生の本マグロ丼定食にします。
赤身が旨み成分たっぷりでやばい位旨かったです。
久能山城
見所ポイント: 神廟、御社殿、楼門の「獏」の彫刻、勘助井戸、石垣群、絶壁、等。
駐車場: 地元の商店組合の管理する有料Pアリ(20~30台位)。
総評: 家康は、大御所として駿府に在城当時、「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺骸は遺命によって久能山に葬られ、(1617年1月)には2代将軍・秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。と、手元の資料にあります、それだけここ久能山城は重要な拠点であり、城であったと改めて認識させられる感じです。
甲陽軍鑑における関東三名城の一つ久能山城はやはり凄かったです。
周囲を断崖絶壁に囲まれ、唯一の登城路である表参道(大手門)は九十九折れの高石垣で構築されまさに要塞堅固にして難攻不落を思わせる名城です。
あの武田信玄や徳川家康もお気に入りのこの名城、久能山城を週末にでも訪れてはどうでしょうか。