川越館
別名:上戸城、上戸陣所
所在地:〒350-0816 埼玉県川越市大字上戸
城地種類:平城
築城年代:平安時代頃?
築城者:川越氏?
文化財史跡区分:国指定史跡
川越館跡史跡公園
2010年12月に川越城を訪れましたが工事中で写真が数枚しか撮れず、
ブログに記事をアップできないので、二度目の登城をする事に。
川越城へ行く前にここ、「川越館跡」へ登城しました。
川越館概要:
河越館跡史跡公園は、平安時代末期ごろに武蔵国で勢力を誇った河越氏の居館跡です。
昭和46年から昭和50年にかけての発掘調査によって、平安時代末期から戦国時代にかけての堀や井戸、住居などの遺構が検出されました。
その結果、遺跡はとくに鎌倉時代から室町時代にかけての関東武士の中世城館の様相を考察する考古資料としてきわめて重要であるとして、1984年(昭和59年)12月6日、「川越館跡」(かわごえやかたあと)の名称で国指定史跡に指定されました。
ナビを小学校に設定
車のナビに「川越館跡」と入力しても川越城しか出て来ない、
仕方がないので、その敷地内に建てられた「上戸小学校」と入力し検索。
見事に川越館跡史跡公園駐車場に到着です。
川越氏の歴史
史跡公園内に入ると綺麗な芝生の中に説明看板が幾つかあります。
その中の一つ川越氏の歴史について説明している看板です。
川越氏館堀(1)
見事な堀ですね、と、言いたい所ですが…。
本当にここに堀があったの? しかも深さ15㎝位しかない…?
でも国指定史跡だから、いい加減な事はしない筈だし…。
発掘調査
発掘調査によって色々な物が出土し、色々な事が分かったと
説明看板には書かれています。
公園内の芝生(1)
ここ川越館跡史跡公園は国指定の史跡でありながら、公園としても
機能しており、写真のように広い敷地内にはキレイな芝生が敷かれています。
敷地の区画
写真にあるように屋敷の区画のための堀があったようですが、(幅4m、深さ2m)
何故その堀を全て発掘し、その形状の復元と保存をしないのか?
川越館堀(2)
堀というより、" 水の干上がった小川 " と、いったところでしょうか…。
公園内の芝生(2)
公園内は広く平で芝生がキレイ、近所の子供達にとっては良い環境の公園です。
これだけの平で広い土地が、今まで住宅や工場が建てられずに残っていたことに
驚きを感じました。
井戸跡
この井戸から当時の生活用品が色々と出土したのでしょうか?
一度掘り起こしてからまた埋め戻したみたいです。
塚状遺構
祭儀的な目的で作られたものでしょうか?
説明版には霊廟や納骨堂などの宗教的な役割をもった施設と
書かれています。
塚状遺構説明看板
ここ川越館跡に来て一番興味を持ったのが、この「 塚状遺構 」です、
この土台の上にどのような建物があったのか想像が膨らみます。
区画内の建物跡
こちらは敷地区画内にあった建物の跡です。
ところがその建物の大半は小学校のグラウンド部分にあるため
このような特異な形状での建物跡となっています。
建物跡説明版
さすがに小学校の校庭までは掘り起こす事が出来なかったようです。
ご当地ゆるキャラ
プロフィールが突っ込みどころ多数な感じのビミョーなゆるキャラがでました。
座右の銘:「時は鐘鳴り」!? 大丈夫なのか…?
川越館跡
見所:土塁、堀、塚状遺構、建物跡、説明看板、等。
駐車場: 川越館跡史跡公園専用駐車場アリ(無料)
総評: ここ川越館跡は鎌倉時代から室町時代にかけての関東武士の中世城館の様相を考察する考古資料としてきわめて重要であるとして、1984年(昭和59年)12月6日、
「川越館跡」(かわごえやかたあと)の名称で国指定史跡に指定されました。
と、手元の資料にあります。まったくもってその通りだと思います。
国指定史跡という事で、とても良く整備されている感じです。
個人的には堀を完全に掘り起し、復元整備に力を入れてほしいのですが、
色々と都合があり、今の姿なんだろうなと思いました。