みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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武蔵小倉城登城!比企城館跡群の一角を担う城~

武蔵小倉城

別名: 無し

所在地: 〒355 - 0341 埼玉県比企郡ときがわ町田黒

城地種類: 山城

築城年代: 16世紀頃

築城者: 不明

主な関連施設:御城印(ときがわ町・建具会館)

文化財史跡区分: 国指定史跡。

郭3の石積

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平成20年(2008年)に菅谷館・杉山城・松山城小倉城が比企城館跡群とし

て、国指定史跡に認定されました。

その小倉城へ行ってきたのでレポートします。

小倉城概要:槻川が大きく屈曲する場所に張り出す丘陵上に築かれ、大平山・正山に囲まれた天然の要害となっています。戦国期から交通の要所としてこの小倉城は、その存在意義が強く、城の縄張もしっかりと造られたものとなっています。また城主に関しては北条氏の重臣であった遠山光景とする説と松山城主上田氏とする説があります。

 

小倉城縄張図

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小倉城への登城ルートは幾つもあるみたいですが、今回は駐車場がしっかりと

している " 大福寺 " 裏から登ることにしました。 

 

駐車場

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臨時駐車場」とありますが、砂利がひかれており10台以上停められる感じ

でした。(緯度経度:36.031804, 139.298669 )

 

北側の枡形虎口

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城域の北に位置する虎口です、説明看板があったので見てみましょう↓

 

 

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岩盤を掘削し、更に石積までして堅牢性を高めているんですね。

因みにこの虎口の東側斜面に竪堀が3条あるらしいのですが、藪で確認できま

せんでした。

 

本郭北東の虎口

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坂虎口となっているこちらの虎口は、本郭の北東に位置しています。

説明看板があったので見てみましょう↓

 

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ここにも石積が施されていたのですね、かなりしっかりとつくり込まれた山城

である事がうかがえます。

 

本郭広場

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縄張図で郭1と表記されている郭(本郭)となります。

説明看板があったので見てみましょう↓

 

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看板にも書かれているとおり、ここが本郭で間違いないと思います。

そしてこの本郭には段差があり、その段差に関しての記述は看板にもパンフ

レットにもありませんでした。

 

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この郭は北東と南西で、このように段差により区画されています。

この1段高いほうの郭は、城主や重臣達のスペースだったのかもしれませんね。

ここで本郭の南にある郭3を見に行きます↓

 

郭3の岩盤堀切

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場所は縄張図の①となります、こちらの空堀は横堀形状の岩盤堀切で、本郭

の東虎口から南東の麓へと下る尾根筋を断ち切っています。

 

郭3からみる本丸東虎口

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往時ここには木橋が架けられていて、郭3と本郭とを行き来できるようになって

いたそうです。(個人的にはこの場所が一番すきです)

 

郭3広場

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見事に削平されていることから、相当量の土木量だと思われます。

 

郭3に施された石積

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郭3の切岸を囲むように積まれたこちらの石積は、総延長130mにもおよび最も

高い場所においては5mもあったとか!(発掘調査後に埋め戻し)

 

 

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キレイにしっかりと積まれていますね、使用されている石材は、結晶片岩

緑泥石片岩となっています。

これで郭3の散策は終了、本郭へと戻り郭2~大堀切~郭4へと進みます↓

 

本郭南西の囲み土塁

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現在では埋め戻されていますが、郭1の東虎口から南虎口を結ぶ土塁内側には

三段の雛壇状に構築した石積みが確認されました。

 

本郭・南西虎口

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この虎口を通り、郭2へと進みます↓

 

郭2

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ここ小倉城において本郭の次に大きな郭となります、2020.11.22現在この辺り

もかなり整備が進んでおり、とても歩きやすく見学もしやすくなっています。

 

郭2西の大堀切

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場所は縄張図の②となります、ここ小倉城において一番大きな堀切となります。

 

 

クランク部分

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この堀切の見所は、クランク状の横堀から両脇が竪堀となって郭2と郭4を完全

に遮断している所です。

そしてこの場所は櫓台(推定)で、このクランクの部分から横矢をかけて敵

を攻撃する防御施設であったと思われます。

 

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大堀切の堀底部分となります、堀底は少し埋もれてしまっているのかな?

発掘調査はしたのでしょうか?本来の姿がとても気になります。

 

竪堀

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先程の大堀切のクランクから、竪堀として斜面を下っていきます。

場所は縄張図の③

ここで郭5へと下りる道があるので、下っていき竪堀を下からみてみます↓

 

 

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現在の小倉城において、一番はっきりと明瞭に確認できる竪堀となっています。

 

横堀と切岸

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城の南に位置する郭5へと向かう途中にある帯郭の横堀となります。

だいぶ埋まっていますが、横堀の姿は確認できました。

 

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郭5へと向かう途中にある " 段郭群 " の風景となります、この辺りには連続して

5つほどの郭が段々に配置されており、割と斜面が緩い城の南西側の防御として

機能していたものと思われます。

 

郭5

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この郭5がどの様な位置づけ(目的)の郭であったのか?

ある資料では「郭5は水の手郭的な要素も持つ」と書いてありますが、井戸跡

がある沢まではかなり距離がある……。

 

郭5東の竪堀

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藪で見えにくいうえに、竪堀が埋もれてしまっているので、こんな感じです。

これで小倉城の散策は終了、このまま南へと下り(南登城口)下城しました。

 

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郭5を南下し、沢沿いの道を進むとこちらの南登城口へと着きました。

ここから登る場合、駐車場は無いので徒歩でここまで来なければなりません。

 

小倉城ログ

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1時間26分で2.1km、比高は約120mなので気軽に訪れることができる山城です。

 

 

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近年、とても良く整備がなされ、軽装でも訪れることができます。

武蔵小倉城

見所ポイント:本郭、北虎口、東虎口、郭2、郭3、郭3の石積大堀切、竪堀、等。

駐車場:城の南東にある大福寺の臨時駐車場(36.031804, 139.298669 )

総評秩父地方と関東平野の境目に位置するこの辺りは、戦国期においてはとても重要な地域であったと予想されます。

この小倉城も当然そうした重要拠点の一角を担う城として機能していたはずで、その見事な縄張構成からなる城域の遺構はとても見所があり、訪れた者に感動と満足感を与えるものとなっています。

こんな見所満載の山城、武蔵小倉城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菅谷館登城!続日本100名城 31城目 戦国期に改変された中世城館~

菅谷館

別名:菅谷城

所在地: 〒355 - 0221 埼玉県比企郡嵐山町菅谷

城地種類: 平城

築城年代: 不明?

築城者: 畠山氏?

主な関連施設:埼玉県立嵐山史跡の博物館(スタンプ&御城印)

文化財史跡区分: 国指定史跡

本郭の出枡形土塁

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続日本100名城を発表

しました、埼玉県からは忍城・杉山城・そして" 菅谷館 " が選ばれました。

スタンプを押したうえで登城数をカウントしたいと思います。

今回の菅谷館をもって続日本100名城、登城 31城目とします。

2020.11.23登城。

菅谷館概要:

ここ菅谷館跡は、鎌倉時代の有力御家人である、畠山重忠が文治2年(1187)までには居住していたといわれる中世城館跡で、その後山内上杉氏が館跡を菅谷城として改変し、16世紀前半まで自勢力の拠点としたといわれています。

現在残っている遺構は、本郭、二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭、南郭、などの郭群とそれらをとり巻く空堀と土塁がとても良い状態で残っています。

しかし、これらの空堀や土塁などは戦国時代になってから造られたと考えられています。

菅谷館鳥観図

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出典元:「余湖君のホームページ」http://yogokun.my.coocan.jp/ 

こちらの「余湖君」さんが作図された鳥観図はとても見やすいですね。 

毎度、使用させていただき有難うございます。

 

駐車場

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埼玉県立嵐山史跡の博物館駐車場となります、こちらは城の南東に位置して

おり、三ノ郭の中にあります。

尚、この駐車場の北側は(伝搦手門跡)の食い違い虎口跡となっています。

 

三ノ郭北側土塁

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三ノ郭北側の土塁と堀になります、現在堀は埋まっていますが、往時は川から

水を引き入れた水堀であったと考えられています。

場所は鳥観図の①となります。

 

三ノ郭~西ノ郭間の堀

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三ノ郭と西ノ郭間を隔てる堀となります、往時はここに木橋が架かっていた

らしくその痕跡が発掘調査により明らかになっています。

 

正坫門と木橋

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ここ三ノ郭は東西約260m、南北130mの長方形の区画で館跡内で一番広い郭となり

ます。

発掘調査の結果建物跡や井戸跡などが見つかっています。

 

西ノ郭広場

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ここ西ノ郭は大正時代の報告書では「外郭」と称されていますが、現在では

城跡の北西部に位置することから「西ノ郭」と呼ばれています。

郭の大きさは東西約130m、南北約70mの長方形をして、北から南に向かって

緩やかに傾斜しています。

ここでいったん来た道を戻り、二ノ郭の城址看板の場所へ移動します↓

 

菅谷館城址看板

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この城址看板がある二ノ郭は、東西の長さが約250mあり城の中央に位置して

います。

現在、二ノ郭と三ノ郭は陸続きで仕切りがない状態ですが、おそらく鳥観図

の②~③の部分は堀、若しくは土塁などで郭間が隔てられていたのでは?

理由としてはまず、三ノ郭中央から二ノ郭の虎口(門跡)というルートと

三ノ郭南東端の帯郭から入るルートがあり、本来はその2カ所からしか三ノ郭

から二ノ郭に入れなかったはずだからです。(あくまでも私見です)

 

本郭出枡形土塁

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こちらが本郭北にある " 出枡形土塁 " となります、これは敵が攻めてきた時

に横矢をかけ敵を迎撃する防御施設(土塁)です。

この素晴らしい出枡形土塁を写真に収めていると、仲良さげなカップルが近

づいてきました…。

自分:「なんて美しい土塁なんだ!これが機能美ってやつなのか!」

カップ:「草が短く刈り込まれていてゴルフ場みたぁ~い ♡ 」

自分:「ここはゴルフ場じゃねぇー!城跡だっー!」(心の中で叫びました)

 

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この " " がたまりません。

 

 

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この城跡で一番の見どころポイントですね。

 

本郭北西の土塁

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この本郭西側~北西~北の土塁は厚さが特に厚い、この方向を意識している

のか?

場所は鳥観図の④となります。

 

二ノ郭広場

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かなり広いです、これだけ広いと城内の移動だけでも一苦労です。

ここで二ノ郭を南へと進みます↓

 

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この様に実に見事な土塁ですが、ここ菅谷館の土塁は発掘調査の結果 " 敲き土塁 "

(異質の土を交互に積み重ねて固めた土塁)である事がわかったそうです。

 

本郭南西隅の土塁と堀

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本郭の南側は都幾川とその断崖で守られていました。 

南郭の南西虎口

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 南郭は本郭よりも一段低い位置に造られた腰郭で、東西約110m、南北約30m

の長方形をした郭で、こちらがその虎口となります。

 

南郭北東土塁

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都幾川や南郭の西地域から、本郭への直接的な侵入を防ぐために設けられたと

思われる南郭ですが、まずこの土塁が侵入者の前に立ちはだかり、ここを乗り

越えても本郭の堀と土塁が待ち構えているので、よくできた防御構造だと感心

させられます。(場所は鳥観図の⑤)

 

本郭南東土塁&堀

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本郭は四方を堀と土塁に囲まれており、厳重に守られていることから畠山氏の

居館があった場所ではないかといわれています、ただ本郭の発掘調査は行われ

ていないので確かなことはわかっていません。

 

生門跡から見る本郭

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この本郭東端には生門跡(しょうもん あと)と呼ばれる土塁が途切れている

部分があり、門があったとされています。

この門はおそらく、本郭と南郭とを行き来する為のものであったと思います。

 

本郭内側の北側囲み土塁

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ここ本郭は東西約150m、南北約60mの長方形をしています、そしてその周囲

を囲み土塁が巡らされ、堀の深さと土塁の高さで約5mにもなる土の防御施設

が本郭を守る構造となっています。(場所は鳥観図⑥)

 

本郭土橋の東側

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本郭に入るメインの虎口周辺なので、土塁も良い感じです。

このまま首を左(西)に向けてみましょう↓

 

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自分:「それにしても、なんて美しい土塁なんだ!」

    本郭を1周してきたので、もうそこに先程のカップはいませんでした。

 

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虎口正面の土橋はご覧の通り、結構狭いです。

 

 

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本郭北東の土塁と堀になります、この辺りが植木が無く堀を間近で見ることが

できます。

これで菅谷館の散策は終了、下城して次の杉山城へと向かいました。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所:埼玉県立嵐山史跡の博物館受付。

スタンプの状態" 屋内管理なのに状態は悪い。(陰影の掠れとふちの汚れ)

スタンプの印影:やはりここしかないでしょ!本郭の出枡形土塁ですね。

 

御城印

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御城印販売場所:埼玉県立嵐山史跡の博物館。

御城印のサイズ:通常サイズ。(和紙のような紙質の薄い紙)

御城印の値段¥:一枚200円。

菅谷館

見所ポイント本郭二ノ郭、三ノ郭、南郭、西ノ郭、土塁、虎口、門跡、等。

駐車場:埼玉県立嵐山史跡の博物館駐車場(普通車20台、バス4台、障害者3台)

総評都幾川と槻川の合流地点を臨む地点にあり、広さは東京ドーム3個分にもなる広大な敷地内に本郭、二ノ郭、南郭、三ノ郭、西ノ郭を配置し、それぞれの郭間を堀と土塁によって区画する、館跡というよりはまさに " " としての縄張特性を持つ菅谷館。

高い土塁や深い堀はもちろんのこと、坂虎口・蔀土塁・食い違い虎口・出枡形土塁等、

敵を撃退するための土によって造られた防御施設が現在でもよく見てとれ、訪れる者を魅了してやみません。

こんな、土によって造られた防御施設の曲線美・機能美を堪能できる菅谷館に週末あたり訪れてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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