みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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増山城登城!続日本100名城7城目 上杉謙信が三たび攻めた城~其の二(完)

増山城

別名: 和田城

所在地: 〒 939 - 1402 富山県砺波市増山

城地種類: 山城

築城年代貞治元年(1362年)以前

築城者: 二宮円阿?

主な関連施設: 増山陣屋(休憩所)砺波市埋蔵文化センター(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

切岸

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った増山城を登城 7城目とします。

富山城概要:

築城年代は不明だが、文献によると南北朝時代には前身とされる和田城が存在していた。当時の越中は神保氏が守護代として、越中の実質的支配者となっていました。

神保氏は上杉謙信越中侵攻を増山城に籠城して一度は撃退するも、再侵攻により落城。その後、織田信長越中侵攻で城は佐々成政の手に落ち、豊臣政権下では前田氏の所領となるが、慶長年間(1596~1615)に廃城となった。と、手元の資料にあります。

其の二:

前回(其の一)は北西の増山陣屋から登城し、F郭、馬之背ゴ、一の丸、等を通り、二の丸と安室屋敷まで散策しました。ここで日が暮れてしまったため翌日の早朝に再登城となりました、2日目は二の丸の南側「無常」からスタートします。

無常

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この郭の下(南西)に畝状竪堀群があると書いてありテンションがあ

がるものの、藪がすごくて先に進めない状態(この時短パンでした)

やはり山城は秋~冬に来るべきです、いつかリベンジしたい。

 

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「無常」から見る鐘搗堂の切岸です、この郭の先に南櫓台があります。

 

 

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石垣はありませんが、このように高低差のある土塁によって強固な防御

地形が構築されています。

 

三の丸北側付近の切岸

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草が生い茂り写真では分かりにくいですが、高さもさることながらこの

ほぼ垂直に切り立った急角度の切岸がとても印象的です。

 

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草が…。この草が無ければもっと伝えたい事が表現できたのに……。

 

 

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写真向かって右と左のそれぞれ独立した郭は往時、木橋でつながって

いたのだろうか?守備兵の郭間の移動が橋でも無いととても出来ない

程、土塁の高低差と角度が凄いからです。

 

三の丸

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ここは長方形の形をした広さもある大きな曲輪となっています。

 

 

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こちらの「オオヤシキ」の周りにはコの字型の空堀が曲輪を取り囲む

防御がなされています。

 

足軽屋敷跡

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三の丸を北東へと進み、御所山屋敷を下ると「足軽屋敷跡」が現れます。

 

 

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写真では草木が生い茂り、その広さはわからないですが縄張図で見る

と南東~北西にかけ細長くとても広大な曲輪となっています。

 

井戸を目指す

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七尾山山頂付近から一気に山肌を下っていきます。

 

神保夫人入水井戸

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女数人で敵兵60人を斬ってって…。どんだけ強かったんだと……。

 

 

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この井戸の中を撮る時が一番ドキドキします。

なぜなら(写真に貞子みたいなのが写っていたらどうしよう)

と、思って緊張してしまうからです。

 

池之平等屋敷

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先程の井戸の道を挟んで向かい側にある曲輪です。

説明看板を見てみます。

 

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池之平等屋敷の詳細はご覧のとおりとなっています。

 

急峻な山肌

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この増山城、やまの周りを歩いて回ると分かるのですが何処も急峻な

崖のような斜面となっておりまさに天然の要害といった感じです。

この写真では分かりにくいですが。

 

亀山城へ向かう

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よく整備された小道を進み「亀山城」(増山城の出城)を目指します。

 

亀山城登城口

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こちらの看板が目印です。

 

 

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この狭い小道を登っていきます。

 

土塁

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しっかりと土塁が残っています。

 

亀山城主郭

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ついに主郭へと到着です、登城口からは10分位でしょうか。

左隅に例の看板があります、早速見てみましょう。

 

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独立丘陵なのでこの亀山城(出城)だけでも、ミニ山城のようになって

います。

 

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広さ的には本当に小さな曲輪といった感じです。

 

増山城北側斜面

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亀山城を後にし駐車場へ戻る事に、でも来た道を戻るのではとても大変

なので「法花坊谷」前の舗装道路を北西へと下り亀山橋から増山陣屋を

目指す事にしました。その途中で撮った増山城の斜面の写真がこちらで

す。(もはや崖といったレベルです)

 

和田川

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和田川に架かる亀山橋からの一枚です、現在増山城の西側は増山湖と

いうダム湖になっていますが、往時はこの写真のような高低差のある

川が天然の濠となっていたのではないでしょうか。

 

増山大橋から

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無事駐車場へと到着したので今度は車で西側の登城口へ向かう事に。

現在はダム湖に橋が架かっており、その橋を渡ると「七曲り」登城口

があります。

 

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こちらのルートは駐車場が無いため(2台程度)徒歩でこの橋を渡り

登城する事をお勧めします。

 

スタンプは

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続100名城スタンプはこちらの「砺波市埋蔵文化センター」にて押印

する事が出来ます。(女性職員さんの説明はとても分かり易かった)

パンフレットもあり、城跡へのアクセス方法なども親切に教えてくれ

るので増山城へ行く前にこちらに立ち寄る事をお勧めします。

 

県別来城者数

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こちらが当館に貼りだしてある増山城の県別来城者数のデータです。

東京都と愛知県が群を抜いて来城者数が多いです、地元の富山県より

多い結果となっています。(2018.7.15現在)

因みに自分の出身県である山梨県4人でした。(自分を入れて)

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所砺波市埋蔵文化センター(09:00~17:00)

スタンプの状態:" " 新しいので状態はとても良い。

 スタンプのデザイン:めっちゃ渋くてカッコ良い!

ご当地グルメ

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鱒寿司

鱒寿司」は富山県の郷土料理で、鱒を酢で味付けした押し寿司です。

立山そばと鱒寿司のセットをランチで食べました。

うどんと鱒寿司のセットが人気みたいでした。

増山城

見所ポイント: 一、二、三の丸、安室屋敷、馬之背ゴ、又兵衛清水、堀切竪堀切岸

駐車場: 増山陣屋と向かいの公園(20台程度)

総評: 和田川が天然の外堀となっており、また4本の尾根を切った深さ10mにもおよぶ堀切が300m以上も続いている、戦国の戦う城であると手元の資料に書いてあります。

まったくその通りだと思います。城山の周りは川や谷で天然の堀となっており、しかも

その山肌はほぼ全方位急峻な崖のようになっていて天然の要害となっています。

二の丸を中心とした曲輪群は、圧倒的な土木量で構築され、その各種土塁の高低差と切岸の角度に驚きと感動を隠すことができませんでした。山を切ったり、削ったり、掘り下げたりと、" " を上手く活用しており、まさに一言で形容するならば「 土の要塞

といったところでしょうか。成るほど、春風亭昇太師匠が惚れ込むのもうなずけます。

山城として見た場合、続100名城ではなく日本100名城に選定されていてもおかしくは無いと思いました。こんな素晴らしき戦う土の城、増山城に週末あたり訪れてみてはいか

がでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

増山城登城!続日本100名城 7城目 上杉謙信が三たび攻めた城~其の一

増山城

別名: 和田城

所在地: 〒 939 - 1402 富山県砺波市増山

城地種類: 山城

築城年代貞治元年(1362年)以前

築城者: 二宮円阿?

主な関連施設: 増山陣屋(休憩所)砺波市埋蔵文化センター(スタンプ設置場所)

文化財史跡区分: 国指定史跡

巨大な薬研堀

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2017年4月6日の「城の日」に財団法人日本城郭協会が続100名城を発表

しました。富山県からは富山城、増山城が選ばれました。

続100名城は幾つか登城済みですが、スタンプを押したうえで登城数を

カウントしたいと思います、今回行った増山城を登城 7城目とします。

増山城概要:

築城年代は不明だが、文献によると南北朝時代には前身とされる和田城が存在していた。当時の越中は神保氏が守護代として、越中の実質的支配者となっていました。

神保氏は上杉謙信越中侵攻を増山城に籠城して一度は撃退するも、再侵攻により落城。その後、織田信長越中侵攻で城は佐々成政の手に落ち、豊臣政権下では前田氏の所領となるが、慶長年間(1596~1615)に廃城となった。と、手元の資料にあります。

ナビをセット

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まず最初にスタンプが設置してある「砺波市埋蔵文化財センター」に

行きましょう。ここには縄張図の書いてあるパンフレットが置いてあり

施設の方が城跡への行き方等を説明してくれます。

施設の方いわく、車のナビには「和田川ダム管理事務所」と入力すると

簡単に行けると教えてくれます。(初めて行く人には分かりにくい場所)

 

増山城入口

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ナビの案内に従えばこの辺りまで来ます、この看板右側のダムの上を

歩いて山へと向かいます。

 

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ここ増山城には主な登城口が3つ程ありますが、こちらの増山陣屋から

登るのが一番だと思われます。

理由としてはやはり駐車場や休憩所がある事と、ここから登ると効率

よく遺構を全て見られる事です。(途中で引き返す場合でも都合が良い)

 

大手口

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パンフには大手口と書かれてはいるが、詳細は未だ不明らしい。

「七曲り」や「無常南側」が大手口だった可能性もあるらしい。

 

縄張図

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登城口の門の所にこちらの縄張図があります、縄張図が無い方はここで

写真に撮っておくと便利かもしれません。

 

説明看板

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登城口でこの説明看板を見て、予備知識を得てから登ると楽しさも

さらに倍増する感じがしますね。

 

 

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先程の門からはこのような緩やかな道で登ります。

 

堀切からの竪堀

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F郭の手前に差し掛かると西側の尾根部分が尾根切り(堀切)してあり、

そのまま竪堀のような感じで斜面を下っています。

 

F郭東側堀切

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先程の堀切&竪堀の反対側に位置する、東側堀切&竪堀。

この二つの尾根に挟まれた部分に登城道があり、これから紹介する

F郭はまさにここを守るための重要な曲輪だった事がうかがえます。

 

F郭説明看板

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F郭とかの名称は城郭研究家が仮で付けた曲輪の名称らしい。

なんでも古地図に曲輪の名称が記載されていなかったため記号で表記

したらしい。

 

F郭

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両側の尾根に挟まれ、登城口を守る重要な役割を担う曲輪です。

城柵があり、雰囲気が出ています。

 

馬之背ゴ説明看板

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馬之背までは分かるが最後についてる「ゴ」とは何…?

「ゴ」についての説明は何処にも書いてありませんでした。

 

馬之背ゴの土塁

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こちらの土塁の先(斜面ダム湖側)は急な斜面になっています。

 

又兵衛清水

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築城の際、山名又兵衛とういう人物が発見したと伝えられています。

 

 

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こちらの湧水は「富山名水百選」のひとつになっているみたいです。

でも説明看板には「生水での飲用は控えて下さい」とあります。

ここで来た道を一旦戻り、一の丸へと向かいます。

 

一の丸へ

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一の丸とあるので、ここが本丸かと思ったらどうやら違うらしい。

パンフレットには「構造的に本丸とは考えにくい」とあります。

では何処が本丸なのか?謎が深まります。

 

一の丸説明看板

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一の丸の説明は写真をご覧になって下さい、こんな感じのスペックです。

ここである事に気が付く、30m×80m=2400㎡ではないのか?

こんな小学生でも間違えない単純な計算を………。

おっといけない!これ以上言うと増山城名誉城主春風亭昇太師匠

叱られてしまう。

 

 

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渋くていい感じの石柱があったので思わず一枚。

まさに「シンプル イズ ベスト」とはこの事です。

一の丸広場

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30m×80m=2400㎡の広さがあり、とても大きな曲輪に感じます。

写真右側の柵がある所が増山城の眺望スポットになっているとパンフ

レットには書かれています、では行って景色を見てみましょう。

 

一の丸からの景色

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眺望…? 左右に木々が生い茂り、見えるのはこの正面の田んぼぐらい。

しかも高さがいまいちで……。

おっと、いけない! これ以上言うと増山城名誉城主である春風亭昇太

師匠に叱られてしまう。

 

石垣跡?

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又兵衛清水と二の丸をつなぐ道沿いにあるこちらの「石垣跡」。

季節が夏なのできっと草で石垣が隠れているんだろうと、草を掻き分け

て調べてみるが、石垣が何処にもない!土しかありませんでした。

しばらくしてふと気づきました、「石垣跡」だから昔はあったけど今

はありませんよ的なやつなんだと…。(詳細を記した看板の設置を希望)

 

馬洗池

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安室屋敷と二の丸に挟まれた道を東側(三の丸)へ進んで行くとこち

らの馬洗池があります、詳細は看板をご覧になって下さい。

ここで先には進まずに安室屋敷と二の丸を散策します、まずは安室屋敷

から。

 

説明看板

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詳細は写真をご覧になって下さい、こんな感じになっております。

 

 

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安室屋敷と呼ばれる曲輪の土塁です、こちらは北側の割と穏やかな感じ

で構成されています。

 

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こちらの写真は安室屋敷から二の丸を見た時のものです。

この高さと切岸の角度が写真ではまったくと言っていい程伝わりません。

とにかく凄い土木量なので、見る者を圧倒します。

 

二の丸へ

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二の丸なのにパンフレットには「主郭」と書いてあります。

パンフによると数々の郭は、二の丸を守るように配置されており、敵

兵がもっとも侵入しにくい場所にある。と、書いてありました。

 

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二の丸(主郭)広場です、写真真ん中あたりにぽつん

とあるのが例の説明看板です。

広さは90m×50m=4500㎡となっており、主郭らしい広さとなって

います。

 

説明看板

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このような説明看板が城にあると本当に助かります、ありがたい事です。

 

神水

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パンフによると、神水鉢の用途は不明で、手水鉢、旗台石、塔の心礎、

など諸説ある。と、書かれています。

 

鐘楼堂へ

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二の丸からさら一段高い所にあるのが鐘楼堂で、ここから登って行き

ます。

 

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こちらの鐘楼堂端から空堀薬研堀)をはさんで安室屋敷側を見下ろ

すと、この増山城の土塁がいかに凄いかが再認識されます。

それがこちら↓

 

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こちらの堀幅は17.4m、高さ3.5mとありますが、二の丸側から見ると

そんなもんじゃないと思う程高さ感があります。

それにしても写真ではうまく表現できません、肉眼で見て下さい。

 

ご当地グルメ

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鱒寿司

鱒寿司」は富山県の郷土料理で、鱒を酢で味付けした押し寿司です。

ホール一つは食べきれないので2切れだけ食べました。(そばとセット)

増山城

見所ポイント: 一、二、三の丸、安室屋敷、馬之背ゴ、又兵衛清水、堀切、竪堀、切岸

駐車場: 増山陣屋と向かいの公園(20台程度)

中間報告:越中三大山城: 増山城、守山城高岡市松倉城魚津市)を総称して

越中三大山城」という。越中に数百ある山城の頂点に君臨する三城のこと。

と、パンフレットに書かれていました。増山城がこれだけ凄いと、残りの守山城松倉城も是非見てみたいと思わずにはいられませんでした。増山城の感想としてはとにかく土塁の土木量が半端ない所が凄かったです、あと切岸の角度がこれまた凄い。普通はそれなりの角度で削り取るものですが、三の丸北側付近の切岸においてはほぼ垂直に切り立っています。通常はそんな角度ではすぐに崩れてしまうのでそこまで急角度にはしないのですが、現在においてもあの急角度とは何か原因があるのでしょうか?

さすがは春風亭昇太師匠が一押しの山城だけあり、その山城としてのポテンシャルの高さにただただ驚かされるばかりでした。こんな素晴らしき「土の要塞」、増山城に週末あたり訪れてみてはいかがでしょうか。

其の二へつづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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