みやじ の登城備忘録

2018.4月スタートの続日本100名城スタンプラリーをメインに活動をしています。お城の散策と同時に地元B級グルメも堪能します。


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足利氏館 日本百名城25城目!

足利氏館

別名: 鑁阿寺(ばんなじ)(正式にはこちらが本名で別名が足利氏館が正しいのか?)

所在地:〒 326 - 0803  栃木県足利市家富町2220

築城年代: 平安時代末期~鎌倉時代初期

築城者: 源義国、足利義兼

城地種類:平城

文化財史跡区分:国の指定史跡、本堂(国宝)重要文化財数点、

足利氏館登城  百名城No.15  2010.12.5

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週末2日間で山形県福島県を中心に百名城6城制覇の旅に出かけました。

5城目はここ " 足利氏館 " へ。

 

 概要:

 館をつくった足利氏は鎌倉幕府の有力御家人で、尊氏のときに室町幕府を開いた。

足利氏館の創築者には諸説あるが、足利氏2代目義兼説が有力である。

水堀と土塁に囲まれた方形の館跡は、鎌倉時代の地方武士の館の姿を今に伝える貴重な遺構である。

建久7年(1196)、義兼が館内に持仏堂を造った。これが「鑁阿寺」という足利氏一門の氏寺となり、現在に至っている。と、資料に書いてあります。

 

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駐車場が見当たらなかった為、少し離れた観光用の駐車場に

車を停め歩きました。

最初は「濁った水の用水路だな」程度に思っていましたが、

どうやら " 濠 " だったみたいです。(失礼しました。(^_^;))

 

濠と土塁

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濠の脇に土塁が見てとれます、手入れが行き届いている感じです。

話は変わりますが、ここへ来る途中に " 渡良瀬橋 " を通りました。

森高千里さんの歌で有名ですね。(写真はとれませんでした。)

 

楼門(山門)と太鼓橋

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桁行 780.0cm  梁間 339.0cm 
唐破風桟瓦葺 (からはふ さん かわらぶき)
江戸時代

鑁阿寺(ばんなじ)正面入り口のお堀に掛けられた反り橋で、内部の天井は格天井と言われ、格子の型に組まれていて、お堀の縁石には切石の橋脚が利用されています。

江戸時代後期の建造物で、県内ではただ一つの屋根付きの橋であり、背面の楼門とのつり合いもよくとれています。(足利市公式HPより引用)

 

お寺だった瞬間…。

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門をくぐり境内の中へ入ると、(境内って言っちゃってる!)

 経堂がお出迎えします。

 一切経国指定重要文化財
寺伝では開基、足利義兼公の創建となっているが現存の経堂は1407年に関東管領足利満兼により再建されたものらしいです。
内部に八角の輪蔵があり、一切経二千巻余(黄檗版)を蔵しています。 普段は公開していませんが、大きな行事の時や市の文化財公開日には内部を見ることができます。

 

大銀杏

 

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大銀杏天然記念物

樹齢約650年、周囲約10m。見頃は11月下旬で、

現在は見上げるほどの巨木に成長しています。

 

立派な門

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お寺の境内にこのような立派な木造の門があります。

二階らしき所に手すりのような物が見えます、上にあがれるのでしょうか?

 

境内参道

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境内の参道はこんな感じでとても風情があります。

もう完全に " お寺 " ですね…。

 

鑁阿寺本堂

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本堂国宝

本堂は鎌倉時代、建久7年(1197年)に足利義兼が持仏堂として建立しました。

その後、足利義氏が大堂を建立したが、1129年の火災で失い、尊氏(たかうじ)の父・足利貞氏(さだうじ)により正安元年(1299)に再建したものです。
 密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重な文化財です。平成25年(2013年)に国宝指定。

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百名城スタンプはこちらの本堂にあります。

階段を登りきった受付の端っこに置いてあります。

 

足利学校

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足利学校:概要

足利学校は、日本で最も古い学校として知られ、その遺跡は大正10年に国の史跡に指定されています。

足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。(足利市公式HPより引用)

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本来ならここも見学していくのですが、あいにくの強行軍日程

の為、見学を断念する事に…。

(この時点で午後13:00時、この後金山城へ行きその後家に帰らなければならない。)

 

ご当地ゆるキャラ

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ここ足利市ゆるキャラはどんなかな?と、検索してみると…こんなんでました。

どうやら「たかうじ君」というらしい。

こんな動画があります。↓  Ctrlキーを押しながらクリックすると便利です。

 https://www.youtube.com/watch?v=7z-YNbomqPM

 

ご当地グルメ

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急いで金山城へ行くために駐車場を目指していると、

駐車場の近くでお蕎麦屋さんを発見!ここで腹ごしらえをする事にしました。

そばの香りがほのかに香る、上品な感じのお蕎麦でした。

ここで食べました。↓ Ctrlキーを押しながらクリックすると便利です。

 https://tabelog.com/tochigi/A0902/A090202/9002213/

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所: 鑁阿寺本堂受付

スタンプの状態: " " かなり綺麗に押すことができました。

足利氏館

見所ポイント: 濠、土塁、本堂経堂、多宝塔、等。

駐車場:少し離れた所に観光用駐車場アリ。鑁阿寺の敷地内に停める方法もあり。     

総評: 館の周囲を取り巻いている水堀と土塁を巡れば、かつて武士の居館の典型であった「方形館」の形状を実感できる。

城域は鑁阿寺の境内で、本堂や経堂、多宝塔なども是非、見て回りたい。

と、手元の資料にあります。(まったくもって、そのとおりです。)

最初訪れた時は、「ここ、お城じゃなくてお寺じゃん!」と、思いましたが濠や土塁、縄張り図を見ているうちに、あっ、お城の原型みたいなものか?と自分なりに解釈する事ができました。

方形の敷地に濠と土塁を設け、守りを固めていたという鎌倉時代の武士の館を彷彿とさせるとても貴重な城跡(お寺)でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白河小峰城 日本百名城 24城目!

白河小峰城

別名: 小峰城白河城

所在地:〒 961 - 0074  福島県白河市郭内

築城年代: 興国年間(1340~46)、寛永6~9年(1629~32)

築城者:結城親朝(ゆうき ちかとも)、丹羽長重

城地種類:平山城

文化財史跡区分: 国指定史跡(2010.8.5に指定)

白河小峰城登城  百名城No.13  2010.12.5

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週末2日間で山形県福島県を中心に百名城6城制覇の旅に出かけました。

4城目はここ " 白河小峰城 " へ 。

歴史・沿革

陸奥への関門として重要な地であった白河丘陵小峰ヶ岡には、古くから館が築かれていた。ここに江戸幕府に命じられて名築城家の丹羽長重丹羽長秀の子)が10万石の居城にふさわしい城郭を築城したのが白河小峰城である。

幕末の戊辰戦争白河小峰城奥羽越列藩同盟と新政府軍の激戦地となり、シンボルであった三重櫓などを焼失してしまう。

二の丸広場から

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白河駅正面にある白河公園駐車場(無料)に車を停め、二の丸から

城を眺めます。

総石垣造りの感じが見てとれ、この時点ですでにテンションが上がります。

 

同心半円形落し積み

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搦手門と藤門のちょうど中間あたりにある、高石垣にもよく見たら

半円の孤を描く石垣がありました。(とても珍しい積み方です)

定番のスポットは清水門から郭内に入ってすぐの高石垣が有名です。

 

櫓を裏から見たくて

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わざわざ裏手(竹の丸石垣下付近)に回り三重櫓を堪能

この三重櫓は何処から見ても " 様 " になります。

 

二の丸高石垣と濠

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三重櫓の裏側から、二の丸正面の清水門付近へ移動。

やはり石垣が素晴らしい。

 

帯郭門からの石垣群

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さらに反対側に移動し帯郭門付近へ。

総石垣造りの感じがとてもよく出ていて、造形美を感じさせます。

 

櫓台石垣(1)

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ここの櫓台石垣は縦に細長い感じで面白い形をしています。

櫓台石垣(2)

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櫓台にしては少し小さい様な気が…。

 

櫓台石垣(3)

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横矢枡形のでっぱり具合も、なかなかのものです。

それにしてもこの石垣、子供が段ボールで作った富士山みたいで

面白い形をしています。

 

本丸内部へ

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前御門横の階段と石垣です。

写真左側の石垣をよく見てみると…。

上側と下側で積み方が違うのが見てとれます。(二本松城で鍛えられた?)

 

前御門からの三重櫓

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三重櫓は高さが約14mあり、一階、二階には張り出し部分と石落とし、

各階に格子窓及び鉄砲狭間を設け、東南北にそれぞれ守りやすい造りとなっています。

 

前御門

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前御門は別名「表御門」ともいわれ、名称の示すように本城に東面する正門として

裏門に当たる桜御門と共に本城を守護する要所に位置します。

北東隅に三重櫓、東面して前御門、東南に多聞櫓、南中央に桜御門といった

続き櫓の構の中心となっています。

 

三重櫓裏側

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しかしこの櫓、何処から見てもカッコよく、そして美しいっ!

気のせいか、掛川城天守に似ている気がします。

 

本丸御殿跡

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 ここにはかつて本丸御殿が建っていました。

 

本丸高石垣

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こちらは本丸西側の高石垣ですが、よく見ると横に目地が通っています。

つまり、南側の高石垣とは明らかに積み方が違います。

積まれた年代が違ったからなのか?

石積み作業を指揮監督した人が違ったからなのか? (妄想が果てしなく膨らみます)

 

おとめ桜悲話

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白河小峰城の外堀の石垣が何回となくくずれ、人柱を立てることになりました。

人柱は、現場近くを通った最初の者を、選ぶことになり、たまたま父親を迎えに来た藩士の娘が、現場を通りかかって人柱にされることとなりました。

娘は逃げ回りましたが、ついに捕らえられ、小峰城築城の人柱となりました。この時藩士たちが逃げる娘を追いまわしたところが、現在「追廻」という地名として残っています。

この娘を悼んで、城内に「おとめ桜」の名で桜が植えられたそうです。この桜は戊辰の戦火で焼失しましたが、現在は二代目の「おとめ桜」が毎年見事な花を咲かせています。 (なんて酷い話でしょう!)

 

三重櫓内部へ

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伝統工法で造られた見事な木造三重櫓です。

この時は(2010年当時)まだ木の香りがしました。

 

鉄砲跡

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戊辰戦争の激戦地の木材を使用しているとのことで、当時打ち込まれた鉄砲の跡が随所に生々しく残っているのが確認できます。

穴に手を入れないで」…。入れる人が大勢いるんですね…。

 

櫓内部

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手前の梁をよく見てみると、

はつり紋」が見てとれます、いい仕事しています。

 

スタンプ押印

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スタンプ設置場所白河小峰城三重櫓受付

スタンプの状態: " " かなり綺麗に押せました。スタンプの管理状態が良い。

白河小峰城

見所ポイント: 本丸、三重櫓前御門石垣群、二の丸、帯郭、堀、等。

駐車場:白河駅正面、白河小峰城公園専用無料Pアリ。(100台位)

総評: 盛岡城会津若松城とともに「 東北の石垣造りの三大名城 」と称される

高石垣が最大の見所。

本丸は急勾配の総石垣造で、その北東に建つ三重櫓は完全復元天守の先駆けとなった。

と、手元の資料にあります、まったくもってその通りです。

ここに来て本当に良かった、満足したと大部分の人がそう思うのではないでしょうか。

天守の代わりになる三重櫓も、宮大工さんが往時の技法で見事に完全再現しているし、立派な高石垣も積み方や形が様々でとても見所があるし。

とくに(同心半円形落とし積み)は特殊で珍しく、他ではなかなか見られません。

東日本大震災の傷痕はまだありますが、一日も早い復興と修復を願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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